甲斐国 新府城跡


1573年武田信玄死去により、武田勝頼が家督を相続する。
1575年長篠・説楽原の戦いで、織田・徳川連合軍に壊滅的な敗北を喫する。
1581年2月信長の甲斐侵攻に備えて、真田昌幸に命じて新府城の築城をはじめる。
1581年12月には躑躅ケ崎館から移転する。
1582年3月3日城に火を放って退却する。
3月11日天目山にて自害、武田氏は滅亡しました。

新府城は釜無川の流れを天然要害とした平山城で、断崖上に築かれ
曲輪を機能的に配置し、堀・土塁を巡らし、馬出や出構などの
武田流築城術の粋を集めた堅固な城でしたが
府城としての力発揮せぬまま、廃城となりました。
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長い階段を登ると本丸に到着
たいへん広い曲輪で、土塁で囲まれていました。
石垣は無く、各曲輪も確認できました。

堅固な新府城であっても、求心力を失った勝頼が
戦わずして退却せねばならなかった思い
勝頼の石碑が物悲しく建っていました。
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甲斐国 躑躅ケ崎館跡


躑躅ケ崎館は、甲斐源氏である武田氏の本拠地で
1519年武田信虎が石和館から移り築城
北側に詰城である要害山城をもち
堀と土塁で防備され、家臣の館を周囲に配していました。

武田信玄の代には甲斐一国と
信濃・駿河・西上野・遠江・三河・東美濃・飛騨に
領土を拡大支配しました。

信虎・信玄・勝頼の3代にわたって本城としましたが
1581年勝頼の代に新府城を築き移りました。

武田氏滅亡後、織田信長の家臣河尻秀隆
徳川家康の代官である平岩親吉
さらに豊臣秀吉の甥の羽柴秀勝
家臣の加藤光康らが次々と入城
曲輪や堀も拡張され、甲府城が出来るまで
甲斐国の府城館でした。
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現在中曲輪跡には、風林火山の旗印
武田信玄公を祭る武田神社が建っています。
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武田信玄が住んでいた躑躅ケ崎館跡の
曲輪・堀・土塁・井戸・虎口など見ることができ
とても満足できました。
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甲斐国 甲府城跡


1582年武田氏滅亡後、甲斐国は織田信長の領国となるが
本能寺の変後は、徳川家康の支配下になりました。
豊臣秀吉が天下統一すると、1590年家康は関東へ国替えさせられ
甲斐国は秀吉の甥で羽柴秀勝に与えられました。
甲府城は、徳川氏への睨みの城として
1591年から加藤光泰、1593年から浅野長政・幸長父子が城主となり
完成しました。
1600年関ヶ原の戦い後は徳川家の城となり
将軍家一門が城主となりました。
1704年甲府藩主徳川綱豊が、第5代将軍徳川綱吉の養子となった為
将軍綱吉から信頼が厚かった柳沢吉保が城主となりました。
1724年柳沢氏が大和郡山に転封されると
甲斐国は幕末まで甲府勤番の支配による、幕府直轄地となりました。

甲府城は一条小山に築かれた平山城で
天守台には4重5階の巨大天守が建てられたようです。
それらを取り巻くように一段ずつ下がった曲輪には
櫓・門などが配され、堀で囲われた堅固な城でした。
徳川の時代には天守はなかったようです。
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現在県庁や駅に一部変貌しているものの
残されているものは、最大限に昔の様相がうかがえられ
石垣で覆われた巨大軍艦のようで、実に見事な城跡でした。
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三河国 刈谷城跡(刈屋城)

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刈屋城は1533年水野忠政が築城
娘の於大(徳川家康の生母)を岡崎の松平広忠に嫁がせ
松平氏と関係を深くし、今川氏に組していました。
忠政が亡くなり、水野家宗家の跡を継いだ水野信元は、織田家につき
松平氏を引き込もうとするも、広忠は於大と離縁しこれを拒否しました。
1560年桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると
信元は織田信長と松平元康(家康)の仲介役をし、清州同盟が結ばれました。
1575年信長の武将佐久間信盛の讒言により
信元は武田方との内通を疑われ、信長の命を受けた家康によって
三河大樹寺にて謀殺されます。
水野領は佐久間領となるが、1580年佐久間信盛が失脚すると
信元の弟水野忠重に刈屋城が与えられます。
それは信元が無実だったからと言われています。
1600年忠重の子水野勝成が、初代刈屋藩主となり
その後譜代大名が藩主を務め、廃藩置県をむかえました。
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現在本丸跡に土塁など、遺構が残っていますが
全体的に歴史観はなく、水堀が城の面影として主張していました。
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三河国 本證寺(三河一向一揆の拠点)

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1563年徳川家康の兵糧米の徴発に端を発し
不入権を主張する本願寺派寺院(本宗寺・勝鬘寺・上宮寺・本證寺)と
領主である家康との間に、対立が深まり戦となりました。
家康にとって配下の家臣に本願寺門徒が多かった為、苦しいものとなりました。

本證寺は内堀と外堀を二重にめぐらし土塁を築いた
強固な城郭寺院でした。
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