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豊後国 臼杵城跡(丹生島城)


臼杵城は、16世紀後半に豊前、豊後、筑後、筑前、日向などの5ケ国以上を支配し
一時は周防から瀬戸内海までも領国下に置いた大友宗麟の築いた城です。
宗麟は府内の西山大友館を本拠とし、いざという時には高崎山城に立て籠もる体制でしたが
豊後水道の制海権と飫肥にかけての日向平野を制圧する為、
1562年に本拠を臼杵城に移しました。
臼杵城は、海岸に突出する丹生島に建てられており、別名丹生島城とも言います。
城内にはセミナリオとキリスト教会堂を建て
自らもキリシタン洗礼を受けるなど、宣教師の受け入れに熱心でした。
府内の西山大友館には家督を継がせた嫡男義統を置きました。
1578年耳川の戦いで島津軍と激突し大敗。
のちの1586年戸次川の戦いでも島津軍に敗北し、島津軍は臼杵城を包囲しました。
宗麟は南蛮渡来の「国崩し」と呼ばれる大砲などを駆使して臼杵城からは退却させたが、
城下は焼かれキリシタン文化がすべて灰になり、翌年宗麟は病死しました。
1593年大友義統は、朝鮮出兵の折、命令違反により、豊臣秀吉の怒りに触れ所領没収となり
豊後国には石田三成の妹婿福原直高が入りました。
関ヶ原の合戦後臼杵城には、稲葉貞通が入城し臼杵藩の藩庁として
明治まで稲葉氏の居城となりました。
城は稲葉氏によって大手枡形や三の丸の整備、石垣を修復し
本丸・二の丸には、三重天守や三重櫓1基、二重櫓19基平櫓3基城門9棟が建ち、
近世城郭に整備されました。
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稲葉氏下屋敷と庭園

西美濃の3人衆稲葉一鉄の嫡男で稲葉貞通が郡上八幡より豊後国臼杵5万石に国替え。
その距離の大変さを知る旅行でもありました。
海なし県に住む人間は海を見ると〝海だぁ~″と感激しますが、貞通も山奥から海辺にきて
さぞかし感激したであろうと思います。
臼杵はとても親しみある町でした。
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