三河国 田原城跡


桜門と堀(枡池)
田原城は1480年戸田宗光が築城したとされています。
その後、戸田家は戦国時代初頭、東三河を支配するも、西三河の松平氏の配下となり
さらに守護大名今川氏の支配下となった。
1547年戸田康光は、今川義元へ人質として送られる
松平竹千代(徳川家康)を強奪し、敵対する織田信秀に引き渡します。
激怒した今川義元に、田原城は攻め落とされ、康光も戦死し
その後今川氏家臣天野景貫が城代として入る。
1560年桶狭間の戦いで義元が戦死すると
徳川家康が三河一国をほぼ統一し、田原城も徳川のものとなる。
1590年家康が関東に国替になると
池田輝政が三河吉田城に入り
田原城には重臣伊木忠次が城代として入ります。
この時期に石垣・曲輪の整備がされたと考えられます。

1601年戸田家一族の戸田尊次が1万石で田原藩を立藩する。
1664年3代戸田忠昌、肥後富岡藩へ移つり、三河拳母藩三宅康勝が入る。
三宅氏12代で明治を迎えました。
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二の丸櫓        二の丸跡      本丸跡(巴江神社)
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             桜門
現在堀・石垣の遺構を見る事ができます。
桜門・二の丸櫓が昭和に入り再建され
本丸には三宅氏の家祖である児島高徳を祀る
巴江神社があります。
二の丸には田原市博物館があり
幕末、田原藩の家老で、学者・画家・政治家として活躍した
渡辺崋山の壮絶な人生の証が展示してあります。
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石垣と堀(袖池)

戦国時代本丸の背後は海であったようです。
田原藩は小藩でしたが、立派な城構えでした。
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