能登国 末森城跡




末森城は能登国・加賀国・越中国3カ国の国境付近にあたり
古来交通の要地にありました。
天文年間(1532~1555)に土肥親真が城主に
能登守護大名畠山氏に属していましたが、畠山氏の衰退により
土肥氏は後に上杉方へ、さらに織田方に転じて前田氏に属しました。
土肥親真は賤ヶ岳戦いで戦死します。
1583年前田利家は城を改修し本丸に重臣の奥村永福を入れ
二の丸に千秋範昌、三の丸には土肥茂次が入り
兵500が配置されました。
1584年越中の佐々成政が1万5000の大軍で城を包囲するも
前田利家3000の兵が援軍に駆けつけると兵を撤退させました。
この時土肥茂次は戦死します。
1615年一国一城令により廃城となりました。

現在本丸、二の丸、三の丸、若宮丸などの曲輪
堀切、土塁など中世山城の遺構をみることができます。

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