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美濃国 妻木城跡 

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妻木城は美濃国守護土岐頼貞の孫、明智頼重が14世紀に築城したとされます。
15世紀後半頃、妻木郷周辺を治めて妻木氏となる。
このころ山頂部の広範囲に多くの曲輪が造られました。
17世紀初頭になると、居館は麓に移動しました。
関ヶ原の戦い後、妻木氏は7500石を領する城主として三代続きましたが
1658年城主が急死、後継ぎがなくお家は断絶し妻木城も廃城となりました。
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現在山頂部では曲輪、石垣、堀切などを見ることができます。
腰曲輪には石積みされたような興味深い巨石が多く点在し
城跡の探索をより楽しくさせてくれます。
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山麓の士屋敷跡

明智光秀の正室は12代目城主妻木広忠の娘、お牧の方と言われています。
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明智光秀① 誕生地

明智光秀は1528年8月17日、父は多羅城主山岸信周、母は明智城主
明智光綱の妹、市の方の4男として多羅城で生まれました。
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大垣市上石津町多良・時地区には5か所程城跡があり
多羅城はその内のどれかではないかと言われています。
西高木家陣屋跡もその内の1つです。
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山岸家は「進士山岸家」もしくは役職のみで「進士家」と呼ばれ
進士とは朝廷における冠位若しくは役職などの呼称で
光秀の兄進士晴舎は将軍足利義輝に仕え、1565年永禄の変で死亡しました。

明智家は土岐頼兼が1342年明智城を築城し、明智頼兼となり分家独立する。
1355年足利尊氏から勲功により石津郡多良に領地を与えられています。
光秀誕生の173年前は明智領であり、山岸家とは重縁関係にありました。
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明智城跡(可児市)
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明智光綱には子供がなく、妹の子を養子に迎え入れ光秀と名づけました。

光秀の誕生地は諸説ありますが、私は古文書が示す通りだとおもいます。
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