越前国 一乗谷 朝倉氏居館跡・城下町跡

一乗谷といえば、越前朝倉家7代敏景から11代代義景までの本拠地です。
谷全体に城下町が築かれ、朝倉氏の館が建てられ、その背後の山には一乗城が築かれました
7代敏景は1471年越前一国を平定し、斯波氏に代わって守護となりました。
9代貞景は、1499年逃走中の10代将軍足利義稙が、朝倉氏を頼って一乗谷を訪れると
義稙を将軍職に復帰させました。
10代孝景の時代になると、近江・美濃など近隣諸国にたびたび出兵して、勝利を収める一方
京や奈良から多くの文化人を受け入れるなど、軍事的にも政治的にも最盛期を迎えました。
だが、次の11代義景は、後に15代将軍となる足利義昭を1567年一乗谷に迎えておきながら
上洛のための行動をおこしませんでした。
その為、義昭は義景を見限り織田信長を頼ることとなります。
信長はすぐさま義昭を奉じて上洛をしてしまい、5年後の1573年
信長は越前に義を持って侵攻することとなりました。
義景は刀根坂の戦いで大敗。一乗谷は手当たり次第に火をかけられ、
100年におよぶ一乗谷の歴史が終わりました。








一乗城はもともとは南北時代の築城とみられる連郭式縄張の中世山城ですが
1570年ごろ織田信長の越前侵攻に備えて数多くの畝状竪堀群を築くなどの改修を行い
防備を強化しましたが一度も実戦で使用されることなく廃城となりました。
時間と体力に余裕なく、今回も登城を断念してしまいました。
麓の居館部は、朝倉氏の栄華の景色の名残が目に飛び込んできて
中世のかおり漂う良い散策ができました。


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