越後国 高田城跡

1598年春日山城主上杉景勝が会津に転封となり、堀秀治が入城。
その後、福島城を築城して移りました。
1610年徳川家康の六男松平忠輝が
越後高田藩七十二万の太守として福島城に入城。
1614年高田城を築城して移りました。
天下普請で築かれた高田城は、本丸の周囲に二の丸、三の丸をもつ
輪郭式の平城で、天守はなく三重櫓を天守の代用としました。
堀は土塁で築かれ、川を外堀として利用しました。
短期築城の為か、石垣は築かれませんでした。
1616年忠輝は大坂夏の陣への遅参などで、
所領を没収、改易されました。
高田藩領は分割され、高田城には譜代大名が相次ぎ入城しました。






城の規模はとても広く
石垣がないのは淋しいですが
上越の美しき城跡でした。

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近江国 八幡山城跡

1582年本能寺の変で安土城が燃える。
1583年清州会議にて安土城主に、信長の孫三法師と決まったが
安土城は再築されませんでした。
1585年近江を中心に43万石の領主となった豊臣秀次が、八幡山城を築城。
八幡山山頂部に本丸をもうけ、二の丸・西の丸・北の丸・出丸が配置され
安土城に残された建物・城下町などを、この地に移しました。
1590年秀次は尾張・伊勢100万石を与えられ清州城へ移り
八幡山城には京極高次が2万8000石で入城しました。
1595年秀吉の後継者を巡り、秀次は自害させられました。
秀次と関係が深かった為なのか、八幡山城は廃城となり
京極高次は大津城に移りました。






八幡山城は今も石垣が累々と残っています。

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