美濃国 福束城跡



福束城は1414年土岐氏家臣福束蔵人十郎益行が築城する。
1428年丸毛光慶が居城し、北伊勢との船運を取り仕切るなど
丸毛家は代々福束を領し、土岐家・斎藤家・織田家に仕え
豊臣政権時は2万石を領する小大名でした。

1600年関ヶ原の戦い前哨戦で、城主であった丸毛兼利は西軍に加わり
東軍に付いた今尾城主市橋長勝・松の木城主徳永寿昌と戦いますが
城は落城し、丸毛兼利は大垣城へと敗走しました。
戦後、加賀国の前田利常に仕え、福束城は廃城となりました。

明治33年木曽・長良・揖斐の三川分流工事によって
城跡は川の中に消えてしまいました。
現在福満寺付近が城域東側とされていて
水路が2重構造になっているので
堀跡に新しく水路を作ったような景色がありました。

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美濃国 牧村城跡


牧村城は地頭であった牧村家の居城で
戦国時代斎藤家家臣牧村政倫が城主でした。
牧村政倫は稲葉一鉄の娘を正室としており
1567年一鉄とともに信長の家臣となる。
牧村家は一鉄の庶長子である重通の子
利貞を養子に向かい入れます。
牧村利貞は利休七哲の一人に数えられる茶人でもあり
秀吉から1590年伊勢国岩出城2万石をあたえられています。
その頃牧村城は廃城となりました。

尾張国守護代岩倉の織田家家老山内盛豊の子で
山内一豊は父兄が織田信長に攻められ戦死
1560年に牧村政倫の元に身をよせていました。

後に土佐国主になった山内一豊ゆかり城として
円長寺に石碑があり城跡とされています。
遺構は何もありませんが
寺の前の用水側から寺を見ると
堀跡のような景色でした。
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