遠江国 掛川城 


掛川城は、1497年駿河の守護大名今川義忠の重臣
朝比奈泰煕が築城します。
1560年桶狭間の戦いで、今川義元が織田信長に討たれると
1568年義元の嫡男氏真は、甲斐武田氏の侵攻に伴い
家臣を調略され、戦わずして駿河の本拠地駿府城を捨てて
朝比奈泰朝の守る掛川城に逃げ込みます。
泰朝は1569年徳川家康との攻防の末、氏真の助命を取り付け開城
家康の重臣石川家成が入城します。
1590年家康が関東に移ると、山内一豊が5万石で入城します。
城は天守建築・石垣など近世城郭へと大幅に拡張されました。
関ヶ原の戦い以降は、譜代大名が入れ替わり居城し
明治を迎えました。
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復元天守は木造で平成6年市民の寄付金で建築されました

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1855年から1861年にかけて建築された御殿が現存します
全国に4か所しかない城郭御殿で貴重な建築物です
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掛川城御殿は歴史に触れた感があり
とてもよかったです。
太鼓櫓がとても凛凛しく美しかったです。
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遠江国 鳥羽山城跡


鳥羽山城は徳川氏と武田氏との二俣城の争奪戦で
徳川氏が武田氏に奪われた二俣城を攻略する為に
目と鼻の先である鳥羽山に陣城を築いたのが始まりです。
本格的な城郭に整備されるのは堀尾氏入城時
二俣城は軍事施設、鳥羽山城は迎賓館的な施設として
一体で整備されました。
本丸           大規模な大手門
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枯山水の庭園跡
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土塁・石垣・曲輪・虎口・庭園など残されていて
本丸内には立派な御殿があったと想像できます。
たいへん眺望のよい見晴台がありました。
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遠江国 二俣城跡

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1530年駿河の守護大名今川氏の家臣松井貞宗が
天竜川と二俣川に挟まれた城山に二俣城を築城
1560年桶狭間の戦いで今川氏が敗れると城は徳川家康のものとなる
1572年武田信玄・勝頼の侵攻により武田氏の城となるが
1575年信玄の病死などで二俣城を奪還する
1579年信長の命令により
家康の嫡男信康が武田氏との内通を疑われ
この二俣城にて幽閉切腹させられる
1590年家康が関東に国替となると二俣城は
浜松城の支城となり堀尾吉晴の弟宗光が入城
対岸の鳥羽山城と一体で整備されたが
1600年堀尾氏が出雲国松江に移ると二俣城・鳥羽山城は廃城となりました

今に残る天守台は堀尾氏入城時整備されたと考えられています
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本丸・二の丸・虎口付近の様子がよくわかります
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立派な天守台石垣に感動してしまいました
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