備中国 松山城

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鎌倉時代1240年秋庭重信が、備中有漢郷の地頭となり
臥牛山のうちの大松山に、砦を築いたのが始まりです。
その後城主は、時代とともに高橋氏、高氏、上野氏、庄氏、三村氏と変遷し
戦国時代三村元親の時代に、臥牛山全域が一大要塞となっていきました。
1574年三村元親は、毛利氏から離反し織田信長に寝返り
備中兵乱と呼ばれる争いが、翌年にかけて続き
毛利方の小早川隆景に城は落とされ、元親は自害、毛利氏の領有となります。
1600年関ヶ原戦い後、徳川幕府は備中国奉行(小堀正次・政一)を城番に置き
麓に御根小屋を築きました。
1617年池田氏1642年水谷氏1695年安藤氏1711年石川氏1744年板倉氏と
城主が変わり、明治を迎えました。
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現在一般に備中松山城と呼ばれるのは
小松山の山頂(標高430m)を中心に築かれた近世城郭を指します。
現存する天守は1683年水谷勝宗により修築されたものと伝わり
天守・二重櫓・三の平櫓東土塀が、国指定重要文化財に指定されています。
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大手門付近のこの景色最高です。
石垣は実に美しく、心ゆさぶられ、心和ませてくれます。
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備中国 高梁市は、とても美しいところでした。
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讃岐国 丸亀城跡


丸亀城は1597年生駒正親が築城
正親本人は讃岐の拠点である高松城に入り
西讃岐の丸亀城には嫡男の一正が入りました
1600年関ヶ原の戦いが勃発
正親は西軍に組しましたが
一正は東軍徳川方として武功をあげ
讃岐十七万三千石を拝領
丸亀城の城代に佐藤掃部を置いた
1615年一国一城令により丸亀城は廃城となる
1642年肥後国より西讃岐五万三千石で
山崎家治が入り城の再築がなされ
現在ある天守や高石垣が築かれました
1658年山崎家が3代で断絶
播磨国より京極高和が入り
明治維新まで京極氏の居城となりました

丸亀城は標高66mの亀山に築かれた平山城で
三層三階の層塔型天守や大手桝形門・御殿表門が
今に残されています
麓からみると高石垣が山全体を覆い
堂々した丸亀城は実に迫力満点です
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丸亀の誇りたかき城跡でした
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