伊勢国 上野城跡

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織田信長の伊勢侵攻で
1569年織田信包が津城の仮城として
分部光嘉に改修築城させ入城しました
1574年浅井家滅亡後
お市と三姉妹が移り住みます
1580年津城完成により信包が居城を移した為
分部光嘉が城代となる
1594年豊臣秀吉より織田信包は改易され
分部光嘉は豊臣家直参となり一万石の大名となる
関ヶ原の戦いの功により加増され二万石大名となる
1608年藤堂高虎が津に入城すると
分部光信(光嘉の娘婿)は近江国大溝へ転封
上野城は廃城となりました
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天守台に建つ展望台が真四角なビルのためか
歴史観を大いに損なえていて残念

唯一本丸土塁跡が中世山城の面影を見ることができます
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伊勢国 神戸城跡

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神戸城は神戸氏四代目神戸具盛が1550年代に築城
神戸氏は伊勢平氏関氏の一族で関盛澄がこの地を領し
神戸氏の祖となったようです

1568年織田信長の伊勢侵攻に
七代目神戸友盛は信長三男信孝を養子として迎え和睦するも
1571年友盛は隠居させられ神戸信孝が城主となる
1580年五重六階の天守が完成しました

神戸信孝は1582年四国攻め総大将として準備中
本能寺の変が勃発、秀吉と合流して明智光秀を討伐する
その後岐阜城に移り、秀吉と対立した為知多の野間安養寺にて自刃

神戸城主には時の権力者の動向により
小島兵部、林与五郎、生駒親正、水野忠重、滝川雄利と
めまぐるしく変わりました
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1600年関ヶ原の戦い後一柳直盛が5万石で入城
1636年一柳直盛は伊予国西条藩へ転封
神戸城は破却され天領地となる
1660年石川総長が一万石で入封
1732年本多忠統が一万石で入封、本多氏7代で明治を迎えました
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神戸城跡は鈴鹿市街地の中心部にあり
神戸公園として本丸・堀の一部が整備され
本丸には神戸信孝の築いた
野面積み天守台が堂々と残されています
実に風貌がよいです
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伊勢国 津城跡


津城(別名安濃津城)は戦国時代在地領主長野氏の一族
細野藤敦が安濃川と岩田川の三角州に小規模な城を築きました
1568年織田信長の伊勢侵攻により
1569年織田信包(信長の弟)伊勢上野城に入城
信包は1580年五重天守が建つ安濃津城を完成させ移りました
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1595年豊臣家臣、富田一白が5万石で入城
富田信高(一白の子)は関ヶ原の戦いで東軍に属した為
西軍3万の兵に城を包囲攻撃され、1300の兵では守りきれず開城するも
戦後徳川家康より所領を安堵され2万石加増されます
1608年伊予国宇和島藩12万石へ国替えとなり
伊予国今治藩より藤堂高虎が伊勢国・伊賀国22万石で入城
1611年津城を大改修居城しました
大阪の役の功により10万石加増
津城は藤堂氏32万石の居城で明治維新に至りました
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現在津市街地の中心に本丸・西の丸・広大な内堀の一部
それに石垣が堂々と残っています

築城の名手で戦国の世を巧みに生抜いた
藤堂高虎公の銅像が建っています
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見事な石垣を見て久しぶりに癒やされました
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