美濃国 美濃郡代 笠松陣屋跡

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美濃国は1600年関ヶ原の戦い後
戦後処理を目的に大久保石見守長安が美濃国奉行となり検知を行い
10万石未満の多数の藩と幕府直轄領に細分化されます
1613年岡田将監善同、1631年岡田将監善政が美濃国奉行となる
1660年名取半左衛門長知が4代目美濃代官になり
1662年徳野陣屋からここ笠松村に陣屋を移しました
郡代のもとには郡代役所と堤方役所が置かれ
直轄領の支配管理と治水土木工事の指揮監督を行いました
直轄地10万石以上を管理する代官を郡代といい
全国に4か所(関東・美濃・西国・飛騨)ありました
1868年明治新政府に接収され終焉を迎えました
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残されているものは何もありません
笠松陣屋が置かれ木曽川水運の要港として
発展して行った笠松を探索すると
過ぎて行った歴史を見る事ができました
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尾張国 浅野長政公宅跡(浅野城跡)


浅野氏は清和源氏の流れをくむ
土岐氏の庶流で土岐光時が浅野氏を名乗ったが始まりです
室町時代土岐氏が全盛時代 美濃国・尾張国・伊勢国の守護職になった頃
浅野家は尾張国に入ったようである

戦国時代に入り
浅野長勝は織田信長の弓衆頭として仕え
信長が清洲から小牧に居城を変えた頃
この地に屋敷を構えたようである
長勝には嫡子がなく安井重継の子長吉を婿養子に入れ浅野家を継がせます
後々長吉改め浅野長政となります
長勝の養女ねねは秀吉の正室です
浅野長政は羽柴秀吉に仕え
1583年近江坂本城主1587年若狭小浜城主
1593年甲斐府中城主22万石にまでなって行きます
豊臣政権5奉行筆頭として活躍しました
長政の子幸長は和歌山城主37万石
その子孫は広島城主42万石
徳川時代改易なく浅野家が存続できえた
尾張浅野家の出発地でもあります

この館は織田信雄が領主となると
家臣の杉浦五左衛門が入り城を強固にしましたが
関ヶ原の戦い後廃城となりました
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現在浅野公園として整備され
公園回りの水路は堀跡の名残りで
とてもよい雰囲気です
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