美濃国 大森城跡


大森城は土岐三河守悪五郎(久々利城主)の家臣
奥村元信の子元広が築城する
1565年織田信長が美濃を制すると、金山城主森可成の家臣になるも
1582年本能寺で信長が討たれると、金山城主森長可に反旗を企てたが
長可の家臣、各務勘解由ら300の金山勢と伴藤右衛門ら200余人に攻められ落城
元広は加賀の前田家に縁を頼ったと云われます
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大森神社の裏手から登城するのですが、草深くくもの巣が行く手をはばみ
どこから登ればよいかわかりません
小さな山ですが登り口でいくどとなく足踏みをさせられ
いざ出陣でかけ登りました
曲輪が4つ、空堀、土塁を確認できましたが
手つかずなのでたのしく探索できましたがかなりたいへんでした
在地土豪の城としては、想像以上に技巧的で大きな城だと感じました

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美濃国 今城跡

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今城は天文年間(1532~55)に小池家継が築城
1565年中美濃を平定した織田信長は森可成を金山城主として東美濃の旗頭としました
小池氏はこの地方(現在の可児市南西部)を支配していた豪族であったが
信長に帰順し森氏の家臣となります
1582年信長が本能寺で討たれると
東美濃の諸将はこぞって森氏に反旗を翻し
小池氏も同様に反抗しましたが森長可に鎮圧され
森長可の命により今城を退き、帰農したとされます
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城は小規模ではありますが土塁に囲まれた主郭、2曲輪、3曲輪
空堀、井戸など破壊されずに残っています

在地の土豪が戦国の世をどのように生きるか
誰に仕えるか
群雄割拠していた時代の一片を見ることができました
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大和国 高取城跡

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高取城は鎌倉末期越智邦澄が築いたとされる
1584年郡山城の筒井順慶が詰めの城として高取城を改築を始めたが
まもなく死去、跡継ぎの筒井定次も翌年伊賀に転出
近世城郭として本格的な築城は羽柴秀長と重臣で本多太郎左衛門
によって進められました
1595年秀長の跡を継いだ秀保が急死したため高取城主本多氏は
一万五千石の大名として自立する
関ヶ原の戦いで二万五千石に加増
1637年本多氏断絶、幕府城番時代をへて
1640年上村家政が同石高を継承し入城しました

近世山城として最大規模であり
本丸に三層三階の大天守と小天守、塩硝櫓、鉛櫓が三層造りでそびえ、
これを二重の多聞櫓が結ぶ連立式天守でした
本丸下段に5基の櫓、麓までの石垣の上に30基あまりの櫓が建てられていました
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ずっと前から登城したかった城跡で
海抜583mの鷹取山に登ることを決意したのですが
車で本丸近くまで行けてしまい
身構えて登城したのが拍子抜けでした

草刈りして見えて、ありがたい事ではありますが
城跡探索に雑音が入り、少し残念感がありましたが
実に気持ちの良い石垣を見ることができ
感激でいっぱいです

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