美濃国 明智城跡


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1247年明智遠山氏の始祖景重の築城で
遠山氏累代の居城であります

1574年武田勝頼2万の大軍に攻められ落城
本能寺の変後は森長可の属城となる

1600年関ヶ原の合戦の際、城主子孫の遠山利景が明智城を西軍から奮回
徳川家康より旧領6500石を与えられた

1615年旗本2代目領主遠山方景に江戸邸が与えられ
明智城は廃城となり大手門近くに陣屋を構えました
遠山氏は旗本として明治に至りました
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明智城は天険の地形を巧みに利用した山城で土盛砦として
保累数大小23ヶ所を備え原形のまま残されています
この城は多数の竪掘を横堀と複雑に組み合わせられており
とても感動しました
石垣がなくても
実に見事な中世山城の戦う城でした

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美濃国
恵那市明智町は日本大正村として
大正時代の建物が残されており
とてもレトロなにおいのする所でした
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斎藤道三

斎藤道三
父新左衛門尉はもと京都妙覚寺の僧侶で美濃国小守護代長井長弘に仕えます。
美濃名族西村家の跡を継ぎ道三は西村勘九郎利政と名のります。
1527年(34歳)守護に土岐頼芸を擁立する。
1533年(40歳)父西村新左衛門尉と長井長弘があいついで死去。
長井家の家督と所領を奮取し稲葉山城を大修築し居城、長井新九郎規秀と名乗る。
1538年(45歳)守護代斎藤家を乗っ取り斎藤新九郎利政となる。
1552年(59歳)守護土岐頼芸を追放し美濃国主となる。
1554年(61歳)家督を嫡男義龍に譲り、剃髪入道を遂げて道三と号し鷺山城に隠居する。
1556年(63歳)義龍との間で不和を生じて長良河畔で義龍軍に敗れ戦死。

道三は恩義ある人々を葬って地位を築いたがゆえに
蝮の道三と呼ばれ恐れられていたが
美濃国の武士や民衆が道三を支持し他国からの侵略を防ぎ
豊かな国を作りあげました

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現在の道三公です
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岐阜城模擬天守台や曲輪跡には当時の石垣を見る事ができます
稲葉山山頂からは美濃国・尾張国が一望できます
山中の砦跡を探索するのも、とても楽しいです
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因幡国 鳥取城跡

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鳥取城は標高264mの久松山山頂から中腹にあった山城です
1545年頃久松山に山名氏が築城
1562年武田高信が山名氏に反逆し居城する
1573年山名豊国が武田氏をしりぞけ布施天神山城から久松山鳥取城に拠点を移す
1580年羽柴秀吉第1回鳥取侵攻、山名豊国降伏して城を出る
1581年秀吉第2回鳥取侵攻、吉川経家が籠城する鳥取城落城、宮部継潤が城主となる
1600年関ヶ原戦い後池田長吉が城主となる
1617年池田光政が鳥取藩主となる
1632年備前岡山藩から国替えにより池田光仲が藩主となり
以後明治まで鳥取池田家が継承しました
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近世城郭としての鳥取城は秀吉の家臣宮部継潤の時代から始まり
今見る石垣の上に天守、櫓などが整備されました
1692年山上ノ丸の天守が落雷により焼失(以後再建されず)
焼失後は二の丸に御三階櫓を構えて天守の代用としました
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今回久松山山頂には時間がなく立てませんでしたが
因幡国鳥取城跡は砂に埋もれる事もなく
32万石の大名にふさわしい石垣が
今尚偉容を見せつけてくれました
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