伯耆国 米子城跡

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米子城は1591年毛利氏一族吉川広家が標高90mの湊山に5年かけて築城
4層4階の天守を築きました
1600年関ヶ原の戦いで敗れた広家は岩国へ
変わって駿河国駿府より中村忠一が伯耆一国17万5千石を領して入城
近世大名にふさわしい城郭に改築、4層5階の大天守を築き
初代米子藩主になりました
1609年中村忠一は20歳で急死
美濃国黒野より加藤貞泰が6万石で入城
大坂夏の陣の戦功で1617年伊予国大州へ転封
米子藩は廃藩となります
因幡国・伯耆国は鳥取城主池田光政が領し
池田光仲が鳥取城主になると米子には城代として荒尾氏が入り
11代続いて明治に至りました
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近世城郭の曲輪、虎口跡など石垣が見事に残されていて爽快な気分になりました
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米子城天守跡からの展望
なんとすばらしいことか
この風景をおかずに一杯やっている
殿様(自分)を想像してしまいました
実にうまい
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伯耆国とてもきれいなところでした
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出雲国 松江城

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松江城は関ヶ原の戦い後、出雲・隠岐24万石をあたえられ月山富田城に入った
堀尾吉晴が亀田山の地に、1607年から5年かけて完成させました
堀尾家は嫡子なく断絶、次に入った京極忠高ももわずか4年で病死し断絶
その後1638年松平直政が出雲18万6千石の領主として入り明治まで10代続きました
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天守は付櫓を加えた複合天守で高さ30m、外観5重内部は6階となっており最上階は望楼式で
下見板張りの壁や狭間、石落としなど実践本位で安定感のある武骨な体裁に
桃山風の壮重雄大な姿をつたえています
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山陰唯一の現存天守
柱や壁そして外観を見て、この天守の重厚さを感じました
いつも城跡で石垣を見るのが常々ですが、本物の城を見る事ができ
妻も喜んでくれました
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美濃国 鉈尾山城跡

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鉈尾山城は上有知佐藤氏三代の居城であります
初代佐藤六左衛門清信 1563年死去
二代佐藤六左衛門秀方は信長の馬廻りとして活躍
本能寺の変後は秀吉につき、岐阜城主織田信孝にくみする郡上八幡城主
遠藤慶隆と対峙し、立花山を攻撃陥落させたことにより
秀吉より、武儀郡の大半二万五千石を領有しました
三代佐藤才次郎方政は関ヶ原の戦いで西軍に加担して敗れた為
佐藤氏は三代で滅びることとなりました

鉈尾山城は海抜437mの山頂に主郭、南側に3段の曲輪
北側の尾根に連郭状に5段の曲輪、南側に2段の曲輪
西側は断崖絶壁、石垣の一部も確認できました
この山城は防御性に優れた山城であることを
登城しながら感じとれました つかれた
登城口付近の池    鉈尾山を見上げたところです
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眼下中央の小山が小倉山城跡です
三代方政の叔父で飛騨一国を支配していた金森長近は関ヶ原の戦いで東軍に与して戦功を挙げ
戦後、所領として上有知一万八千石を加増され
これを機に飛騨一国を金森可重に継がせ、長近はこの鉈尾山城に入りました
その後小倉山に新城を築いた為、鉈尾山城は廃城となりました
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今日は一番嫌いなへびに遭遇しました
登城口にマムシに注意と看板ありましが
普通のにしきへびだったとおもいます
でも怖い怖い
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