美濃国 猿啄城跡 日本国がんばろう

猿啄城(さるばみじょう)
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1407年西村豊前守善政の城であった
1441年田原左衛門頼吉に攻め滅ぼされる
1547年同族の多治見修理によって城を奪われる
1565年織田信長の中美濃侵攻において丹羽長秀に命じて
猿啄城を攻めさせ、その緒戦で先陣の河尻秀隆によって落城した
この時信長は幸先よしと猿啄の地名を勝山と改称し
功により河尻秀隆が城主となる
1575年河尻秀隆が岩村城主になりこの城は廃城となりました
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この城は木曽川に面した山上にあり川沿いには近世中仙道が走っています
登城口から30分ほどで主郭に立つ展望台につきます
山頂からの眺望はとてもよいです
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遺構は堀切と石垣の一部がありましたが城としては小規模な感じをうけました
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美濃国 山口城跡 古田織部誕生の地

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美濃国山口城は古田織部誕生の地と知られています
古田重然(古田織部)は1554年山口城主古田重安の弟重定の子として美濃山口で生まれる
1567年織田信長が美濃平定の際父重定とともに従った
武士として信長・秀吉・家康に仕え山城国西ケ岡三万五千石の大名となる
1598年嫡子重広に家督を譲ってから茶人・陶人として活躍するが
1615年大阪夏の陣のおり豊臣氏と内通したと嫌疑をかけられ
一子重広とともに釈明せず切腹しました

山口城は主郭と周囲を帯郭が巡る腰曲輪が確認できます
遊歩道が整備されているものの急な階段が続き
途中戻ろうかと考えたくらいきつい登城でした
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