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氏家直元(卜全)


氏家直元は美濃牛屋城主(大垣城主)で西美濃三人衆のひとり。
出家して貫心斎卜全と名乗りました。
美濃国守護土岐頼芸の配下でしたが、斎藤道三により頼芸が追放された後は
道三、義龍、龍興と3代に仕えました。
1567年織田信長の稲葉山城攻めに内応し、信長に麾下しました。
1569年北畠具教が籠城する大河内城攻め、1570年姉川の戦いなどで武功をあげました。
1571年伊勢一向一揆に出陣し、全軍退却する際に殿を務め
美濃国石津郡太田村で討死にしました。
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海津市南濃町安江にある供養塔「卜全塚」
探しづらい所にあり見つけだすことができ、楽しい史跡巡りができました。
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森 可成

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蓮台城跡(居城地は少し高台にあり、草むらが堀跡です)

1523年森可行の子として尾張国葉栗郡蓮台城で生まれる。(岐阜県羽島郡笠松町田代)
美濃国守護土岐氏に仕えていましたが、斎藤道三により土岐氏が滅ぼされると
1554年尾張国織田信長に仕え、信長の尾張国統一に尽力しました。
1560年の桶狭間の戦いや美濃攻略に武功あげ1565年美濃金山城をあたえられました。
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美濃金山城本丸跡(城山には多くの石垣が残されています)

1570年近江国宇佐山城の築城を命じられ城主となります。
浅井朝倉連合軍3万が進軍してくると
可成はわずか1千の兵で城を打って出て戦います。
緒戦では果敢に突撃し連合軍を打ち破ったのですが
延暦寺の僧兵までも加わった連合軍に押し寄せられます。
可成は坂本の地を死守する戦いを5日間にわたり繰り広げ
討死となりました。
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宇佐山城跡           森可成公のお墓(聖衆来迎寺)

先鋒隊長とし幾多の戦いで戦功をあげ続けた猛将森可成ここに眠る。

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柴田勝家  織田家随一の猛将

柴田勝家は1522年尾張国愛知郡の土豪の家に生まれる。(諸説有)
織田信秀が死去すると、勝家は信長の弟信行付きの家老となります。
信行を織田家の後継者にしようと、1556年信長と戦い(稲生の戦い)敗れました。
勝家は信長に許された後、再び信行に謀反の企てがある事を信長に密告した為
信行は暗殺され、それにより以後信長に臣従し重用されます。
1568年信長の上洛に従軍し、その先陣として勝竜寺城を落としました。
1570年浅井長政が信長から離反すると、岐阜と京都間の交通路確保の為
勝家は近江長光寺城に配されました。
領土奪還しようとする六角義賢と戦い勝利します。
1575年越前一向一揆攻めに功を上げ北ノ庄城主となり
さらに1580年加賀を平定しました。
1582年本能寺の変の後の清洲会議では
筆頭家老でありながら秀吉に主導権を奪われ
1583年の賤ヶ岳合戦で秀吉に敗れ、妻お市とともに北ノ庄城で自害しました。
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最初の過ちから信頼を得るため、戦となれば勇猛果敢に突撃した武将でした。
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明智光秀②

1535年養父明智光綱の死により光秀が家督するも7歳と若く
叔父の明智光安が後見人となる 。
1542年斉藤道三は美濃国守護の土岐頼芸を追放し、美濃国主となる。
道三は土岐頼芸が愛妾の深芳野を自分の側室にしましたが
深芳野は既に頼芸の子を宿していました。
その子が後の斉藤義龍です。
道三と義龍は家督を譲る際不仲となり
1556年の長良川合戦で、斎藤義龍が父斎藤道三を討ち果たしました。
明智家は土岐頼芸の子である斎藤義龍と同じ土岐氏一族ながら道三に味方しました。
それは、道三の正室小見の方が光秀の叔母に当たる為でありました。
義龍により明智城も攻撃され、光秀は一族を連れて城を脱出しました。
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稲葉山城と長良川
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道三の隠居城鷺山城跡
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明智光秀① 誕生地

明智光秀は1528年8月17日、父は多羅城主山岸信周、母は明智城主
明智光綱の妹、市の方の4男として多羅城で生まれました。
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大垣市上石津町多良・時地区には5か所程城跡があり
多羅城はその内のどれかではないかと言われています。
西高木家陣屋跡もその内の1つです。
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山岸家は「進士山岸家」もしくは役職のみで「進士家」と呼ばれ
進士とは朝廷における冠位若しくは役職などの呼称で
光秀の兄進士晴舎は将軍足利義輝に仕え、1565年永禄の変で死亡しました。

明智家は土岐頼兼が1342年明智城を築城し、明智頼兼となり分家独立する。
1355年足利尊氏から勲功により石津郡多良に領地を与えられています。
光秀誕生の173年前は明智領であり、山岸家とは重縁関係にありました。
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明智城跡(可児市)
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明智光綱には子供がなく、妹の子を養子に迎え入れ光秀と名づけました。

光秀の誕生地は諸説ありますが、私は古文書が示す通りだとおもいます。
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