志摩国 鳥羽城跡

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鳥羽城は九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆が築城しました。

九鬼氏は元々志摩の国人領主であったが
対立する他の領主に攻められ、城を捨て逃れました。
九鬼嘉隆は滝川一益を介して、織田信長に仕えるようになり
水軍を率いて数々の戦功を挙げ、信長の助力を得て志摩を平定
信長より伊勢・志摩国に3万5000石を与えられました。
本能寺の変の後、豊臣秀吉に仕え、1594年橘氏の居館跡に鳥羽城を築城しました。

標高40mの小山を中心に築いた鳥羽城は
周囲を海に囲まれ、陸地側には堀を巡らした為
島のような海城でした。
本丸には三重天守が建てられ
大手門は海側あり、水門となっていました。

関ヶ原の戦いでは親子が東西に分かれて戦い、敗北となった
西軍に属した九鬼嘉隆は、城主守隆(嘉隆の子)による父助命嘆願が叶うも
情報遅きにて切腹しました。
東軍に属した守隆は、鳥羽藩初代藩主となりました。
その後、内藤氏3代、土井氏、松平氏(大給)、板倉氏、松平氏(戸田)とめまぐるしく
城主が変わり、1725年稲垣氏が入り、その後8代続き明治を迎えました。
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石垣の一部は当時のまま、変わらずに残っています。
本丸からの眺めは最高です。
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越後国 春日山城跡

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南北朝時代越後守護上杉氏が、越後府中館の詰城として春日山城を築城する。
1513年越後守護代長尾為景が、城を大改修し移り住みます。
1536年為景が隠居し、嫡男春景に家督を譲るも実権は握り続けました。
1545年家臣で黒滝城主黒田秀忠が謀反を起し春日山城に攻め込み、
 次男景康三男景房を殺した。
 のちに城主春景にかわり末弟の景虎が黒滝城を攻め落とし、黒田秀忠は降伏した。
1548年春景は末弟景虎(のちの謙信)に家督譲る。
1561年関東管領上杉家の名跡を継承し、長尾景虎は上杉謙信となる。
1578年謙信死後、跡継ぎをめぐって2人の養子が1年にわたって争い(御館の乱)
 1579年景勝が乱を制し春日山城主となる。
1598年豊臣政権下で景勝が会津へ国替えとなり、堀秀治が城主となる。
1607福島城築城に伴い、春日山城は廃城となりました。
春日山城
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上杉謙信の本拠地春日山城は
鉢ヶ峰山頂の本丸から山裾まで曲輪が連続しています。
曲輪に石垣はありませんが、戦国時代最大規模の山城でした。
大河ドラマ天地人にあった謙信死後の
本丸を押さえた景勝と、景虎の屋敷の位置関係など
城全体を確認でき、大満足でした。
御館
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越後国 高田城跡

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1598年春日山城主上杉景勝が会津に転封となり、堀秀治が入城。
その後、福島城を築城して移りました。
1610年徳川家康の六男松平忠輝が
越後高田藩七十二万の太守として福島城に入城。
1614年高田城を築城して移りました。
天下普請で築かれた高田城は、本丸の周囲に二の丸、三の丸をもつ
輪郭式の平城で、天守はなく三重櫓を天守の代用としました。
堀は土塁で築かれ、川を外堀として利用しました。
短期築城の為か、石垣は築かれませんでした。
1616年忠輝は大坂夏の陣への遅参などで、
所領を没収、改易されました。
高田藩領は分割され、高田城には譜代大名が相次ぎ入城しました。
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城の規模はとても広く
石垣がないのは淋しいですが
上越の美しき城跡でした。
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近江国 八幡山城跡

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1582年本能寺の変で安土城が燃える。
1583年清州会議にて安土城主に、信長の孫三法師と決まったが
安土城は再築されませんでした。
1585年近江を中心に43万石の領主となった豊臣秀次が、八幡山城を築城。
八幡山山頂部に本丸をもうけ、二の丸・西の丸・北の丸・出丸が配置され
安土城に残された建物・城下町などを、この地に移しました。
1590年秀次は尾張・伊勢100万石を与えられ清州城へ移り
八幡山城には京極高次が2万8000石で入城しました。
1595年秀吉の後継者を巡り、秀次は自害させられました。
秀次と関係が深かった為なのか、八幡山城は廃城となり
京極高次は大津城に移りました。
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八幡山城は今も石垣が累々と残っています。
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近江国 朽木陣屋跡

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1570年織田信長は朝倉攻めの折、浅井長政の裏切りの情報を受けて
金ケ崎より京へ脱出しました。
その際、朽木庄を支配していた朽木元綱の協力により、脱出に成功しました。

朽木庄を支配した朽木氏の城館跡
近代化にのまれ遺構が消えつつありました。
郷土資料館も閉まっていて、少し残念な登城でした。
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