FC2ブログ

美濃国 遠藤1千石旗本陣屋跡

endou1.jpg

endou7.jpg endou8.jpg endou9.jpg
乙原陣屋跡
endou3.jpg endou4.jpg endou6.jpg
下洞陣屋跡(遺構が残されています)

1646年郡上藩主2代目遠藤慶利の遺言により
領地2万7千石の内、長子常友(3代目藩主)が2万4千石を継ぎ
次男常昭に2千石、3男常紀に1千石が分地されました。

1千石を分地された初代旗本和良遠藤常紀は、和良(郡上市)の宮代村・下沢村・下洞村と
金山町(下呂市)の乙原村・祖師野村・戸川村の6ヶ村を領地とし陣屋を
乙原村に置きました。
その後下洞村にも置きました。

郡上藩主は井上家5万石・金森家3万8千石・青山家4万8千石と移り変わり
ましたが、旗本1千石遠藤家は220年間変わる事なくこの地を治め明治を迎えました。

ここ乙原村は、私の生まれたところです。
子供ころは、昔ながらの石畳の道が縦横に走っていましたが
ダムができ、高速道専用インターができて、村も変わりました。
昔の風景が懐かしいです。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代にへ
にほんブログ村
 

スポンサーサイト



美濃国 立政寺

risyouzi3.jpg
1568年織田信長は足利義昭の上洛従軍要請を受け入れ
一乗谷より岐阜に義昭を迎え入れました。
その時、対面した場所が立政寺です。
 risyouzi2.jpg risyouzi5.jpg risyouzi4.jpg risyouzi6.jpg
立政寺は浄土宗の古刹で美濃国屈指の大伽藍を有していました。

周辺を散策すると参道が長く、広大な敷地であった事が窺えます。
残念ながら、現在本堂はコンクリート作りとなっていますが
織田信長・足利義昭・徳川家康などが訪れた歴史の足跡や
中世文章を有する由緒ある寺院です。
risyouzi1.jpg
足利義昭公御座所の石碑

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代にへ
にほんブログ村
 


越前国 明智神社

aketizinzya3.jpg
明智神社は1562年から1567年の間、明智光秀が越前朝倉家に仕えたときに
居住していた場所にあります。
光秀公の逝去後、その遺徳を偲び光秀公座像が作られ
四百余年の間、周辺三軒の農家によって守られてきました。
aketizinzya1.jpg aketizinzya2.jpg aketizinzya6.jpg
光秀は明智家再興のため、足利義昭の配下となり
義昭の15代将軍擁立に奔走し、信長の協力を得るために、この地を離れました。
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代にへ
にほんブログ村
 

美濃国 妻木城跡 

tumaki7.jpg
tumaki8.jpg tumaki9.jpg tumaki10.jpg tumaki5.jpg
妻木城は美濃国守護土岐頼貞の孫、明智頼重が14世紀に築城したとされます。
15世紀後半頃、妻木郷周辺を治めて妻木氏となる。
このころ山頂部の広範囲に多くの曲輪が造られました。
17世紀初頭になると、居館は麓に移動しました。
関ヶ原の戦い後、妻木氏は7500石を領する城主として三代続きましたが
1658年城主が急死、後継ぎがなくお家は断絶し妻木城も廃城となりました。
tumaki14.jpg
tumaki12.jpg tumaki13.jpg tumaki15.jpg tumaki11.jpg
現在山頂部では曲輪、石垣、堀切などを見ることができます。
腰曲輪には石積みされたような興味深い巨石が多く点在し
城跡の探索をより楽しくさせてくれます。
tumaki21.jpg tumaki24.jpg  tumaki22.jpg tumaki25.jpg
山麓の士屋敷跡

明智光秀の正室は12代目城主妻木広忠の娘、お牧の方と言われています。
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代にへ
にほんブログ村
 







越前国 一乗谷 朝倉氏居館跡・城下町跡

itizyou1.jpg
一乗谷といえば、越前朝倉家7代敏景から11代代義景までの本拠地です。
谷全体に城下町が築かれ、朝倉氏の館が建てられ、その背後の山には一乗城が築かれました
7代敏景は1471年越前一国を平定し、斯波氏に代わって守護となりました。
9代貞景は、1499年逃走中の10代将軍足利義稙が、朝倉氏を頼って一乗谷を訪れると
義稙を将軍職に復帰させました。
10代孝景の時代になると、近江・美濃など近隣諸国にたびたび出兵して、勝利を収める一方
京や奈良から多くの文化人を受け入れるなど、軍事的にも政治的にも最盛期を迎えました。
だが、次の11代義景は、後に15代将軍となる足利義昭を1567年一乗谷に迎えておきながら
上洛のための行動をおこしませんでした。
その為、義昭は義景を見限り織田信長を頼ることとなります。
信長はすぐさま義昭を奉じて上洛をしてしまい、5年後の1573年
信長は越前に義を持って侵攻することとなりました。
義景は刀根坂の戦いで大敗。一乗谷は手当たり次第に火をかけられ、
100年におよぶ一乗谷の歴史が終わりました。
itizyou2.jpg itizyou3.jpg itizyou4.jpg itizyou5.jpg
itizyou6.jpg itizyou7.jpg itizyou8.jpg itizyou10.jpg
一乗城はもともとは南北時代の築城とみられる連郭式縄張の中世山城ですが
1570年ごろ織田信長の越前侵攻に備えて数多くの畝状竪堀群を築くなどの改修を行い
防備を強化しましたが一度も実戦で使用されることなく廃城となりました。

時間と体力に余裕なく、今回も登城を断念してしまいました。
麓の居館部は、朝倉氏の栄華の景色の名残が目に飛び込んできて
中世のかおり漂う良い散策ができました。
itizyou9.jpg
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代にへ
にほんブログ村
 
プロフィール
最新記事
最新コメント
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
work house
koubou.jpg