三河国 刈谷城跡(刈屋城)

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刈屋城は1533年水野忠政が築城
娘の於大(徳川家康の生母)を岡崎の松平広忠に嫁がせ
松平氏と関係を深くし、今川氏に組していました。
忠政が亡くなり、水野家宗家の跡を継いだ水野信元は、織田家につき
松平氏を引き込もうとするも、広忠は於大と離縁しこれを拒否しました。
1560年桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると
信元は織田信長と松平元康(家康)の仲介役をし、清州同盟が結ばれました。
1575年信長の武将佐久間信盛の讒言により
信元は武田方との内通を疑われ、信長の命を受けた家康によって
三河大樹寺にて謀殺されます。
水野領は佐久間領となるが、1580年佐久間信盛が失脚すると
信元の弟水野忠重に刈屋城が与えられます。
それは信元が無実だったからと言われています。
1600年忠重の子水野勝成が、初代刈屋藩主となり
その後譜代大名が藩主を務め、廃藩置県をむかえました。
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現在本丸跡に土塁など、遺構が残っていますが
全体的に歴史観はなく、水堀が城の面影として主張していました。
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三河国 本證寺(三河一向一揆の拠点)

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1563年徳川家康の兵糧米の徴発に端を発し
不入権を主張する本願寺派寺院(本宗寺・勝鬘寺・上宮寺・本證寺)と
領主である家康との間に、対立が深まり戦となりました。
家康にとって配下の家臣に本願寺門徒が多かった為、苦しいものとなりました。

本證寺は内堀と外堀を二重にめぐらし土塁を築いた
強固な城郭寺院でした。
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三河国 安城城跡 (安祥城)


1440年和田親平が築城したとされる。
1471年岩津城主松平信光が謀略を用いて無血入城
以後4代松平氏の居城となる。
1524年4代目松平清康が岡崎城に本拠を移しました。
清康が尾張国森山に出陣中、家臣により殺害された事件(守山崩れ)の後
清康の叔父で織田氏と関係が深い松平信定が実権を握りました。
1537年清康の子広忠(家康の父)が今川氏を頼って岡崎城主に復帰
1540年織田信秀が安城城を奪い、城代として織田信広(信長の兄)を
置きました。
1549年今川軍の攻撃をうけ落城、信広も捕らえられ、当時織田方の人質になっていた
竹千代(徳川家康)との人質交換を経て、今川氏が城代を置きました。
1560年桶狭間の戦いで今川氏が撤退すると、信長と家康の清州同盟が結ばれ
松平・織田・今川の西三河前線基地である安城城は廃城となりました。
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現在本丸跡に大乗寺、二の丸跡に八幡社、城の全体像は分かりやすく
三の丸にある歴史博物館ではボランティアによる安城市の歴史案内を受け
たのしく登城できました。
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近江国 小倉城跡


承暦年間(1077~1080)清和源氏の後裔、小倉(小椋)景実が近江国愛知郡小椋庄に
小倉城を築いたと伝えられています。
小倉氏は小倉城を拠点として、愛知・神崎・蒲生の三郡に勢力を拡大していきました。  
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小倉城跡に残されている遺構は見つけられなかった。
小椋庄は昔を味わえる魅力ある集落でした。
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近江国 高野館跡

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高野館は織田信長の八男織田信吉(母は側室お鍋方)が
1583年羽柴秀吉から、近江国神崎郡高野村や犬上郡宇尾村に2000石の所領を賜り
羽柴武蔵守と名乗って、高野村に館を構えたとされ、これが高野館と考えられています。

織田信吉は1600年関ヶ原戦いでは西軍につき、戦後改易となり
1615年京都にて死去43歳でした。

お鍋方は近江の豪族高畠源十郎の娘で
高野城主小倉実房に嫁いで二人の男子を儲けました。
夫である実房は、1559年織田信長上洛の岐路
美濃斎藤義龍の襲撃を回避する為
八風峠越えの道案内をしたといわれます。
1570年信長との内通で、六角義賢に攻められ戦死する。
実房死後信長の側室となり
信長との間に八男信吉・娘於振を儲けました。
信長死後、羽柴秀吉の庇護下に置かれ
化粧領として高野村に500石与えられ
秀吉の正室おねに仕え、1612年京都にて死去。
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大きな石を使った野面積み石垣や虎口の一部が
発掘調査により残されています。
全体は埋め戻され土地改良され
高野の丘陵地は石垣におおわれていました。
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残された石垣に大満足できました。
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