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越前国 明智神社

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明智神社は1562年から1567年の間、明智光秀が越前朝倉家に仕えたときに
居住していた場所にあります。
光秀公の逝去後、その遺徳を偲び光秀公座像が作られ
四百余年の間、周辺三軒の農家によって守られてきました。
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光秀は明智家再興のため、足利義昭の配下となり
義昭の15代将軍擁立に奔走し、信長の協力を得るために、この地を離れました。
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美濃国 妻木城跡 

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妻木城は美濃国守護土岐頼貞の孫、明智頼重が14世紀に築城したとされます。
15世紀後半頃、妻木郷周辺を治めて妻木氏となる。
このころ山頂部の広範囲に多くの曲輪が造られました。
17世紀初頭になると、居館は麓に移動しました。
関ヶ原の戦い後、妻木氏は7500石を領する城主として三代続きましたが
1658年城主が急死、後継ぎがなくお家は断絶し妻木城も廃城となりました。
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現在山頂部では曲輪、石垣、堀切などを見ることができます。
腰曲輪には石積みされたような興味深い巨石が多く点在し
城跡の探索をより楽しくさせてくれます。
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山麓の士屋敷跡

明智光秀の正室は12代目城主妻木広忠の娘、お牧の方と言われています。
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越前国 一乗谷 朝倉氏居館跡・城下町跡

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一乗谷といえば、越前朝倉家7代敏景から11代代義景までの本拠地です。
谷全体に城下町が築かれ、朝倉氏の館が建てられ、その背後の山には一乗城が築かれました
7代敏景は1471年越前一国を平定し、斯波氏に代わって守護となりました。
9代貞景は、1499年逃走中の10代将軍足利義稙が、朝倉氏を頼って一乗谷を訪れると
義稙を将軍職に復帰させました。
10代孝景の時代になると、近江・美濃など近隣諸国にたびたび出兵して、勝利を収める一方
京や奈良から多くの文化人を受け入れるなど、軍事的にも政治的にも最盛期を迎えました。
だが、次の11代義景は、後に15代将軍となる足利義昭を1567年一乗谷に迎えておきながら
上洛のための行動をおこしませんでした。
その為、義昭は義景を見限り織田信長を頼ることとなります。
信長はすぐさま義昭を奉じて上洛をしてしまい、5年後の1573年
信長は越前に義を持って侵攻することとなりました。
義景は刀根坂の戦いで大敗。一乗谷は手当たり次第に火をかけられ、
100年におよぶ一乗谷の歴史が終わりました。
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一乗城はもともとは南北時代の築城とみられる連郭式縄張の中世山城ですが
1570年ごろ織田信長の越前侵攻に備えて数多くの畝状竪堀群を築くなどの改修を行い
防備を強化しましたが一度も実戦で使用されることなく廃城となりました。

時間と体力に余裕なく、今回も登城を断念してしまいました。
麓の居館部は、朝倉氏の栄華の景色の名残が目に飛び込んできて
中世のかおり漂う良い散策ができました。
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越前国 大野城


越前大野城は、1575年金森長近が、越前平定の功績により
織田信長より大野郡に3万石の領地を与えられ、築城しました。
亀山山頂の天守台石垣上には、大天守と小天守、天狗書院が建ち並び
3棟とも一・二階同大で、屋根は檜皮葺でした。
天守曲輪には武器櫓、塩硝櫓、麻木櫓がめぐり、本丸大手口と地獄谷口が作られました。
麓には二の丸・三の丸があり、その東側は碁盤目状に城下町がつくられました。
1586年長近が飛騨高山へ移り、長谷川秀一、次いで青木一矩、1592年織田秀雄が入城しました。
1600年からは越前一国は結城秀康の支配下に入り、城代が置かれ、1624年松平家が大野藩として独立。
1682年土井利房が入城。土井家八代で明治を迎えました。
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現在天守台石垣には、復興天守が建っていますが
野面済みの石垣や急勾配の石段などは、戦国期の築城を見せつけてくれます。
30年以上前、当時は車で天守曲輪まで行くことができ、降りたらハチに襲われ事を思い出しました。
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筑前国 福岡城跡


福岡城は関ヶ原の戦いで筑前一国52万3000石を得た黒田長政の居城です。
築城名手でもある父黒田孝高(如水)が縄張りし
1601年築城を開始、7年の歳月を費やして完成させました。
52万石の太守にふさわしい、総石垣の本丸、二の丸、三の丸を構えましたが
天守台には、どの様な天守が建てられたかは文献がなく今も分かっていません。
石塁上には47基の櫓、10棟の城門を配し
武家地の総構えを水堀で囲む、総面積24万㎡を誇る巨大な城でした。
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本丸天守台からは美しい福岡の街並みが見えます。
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