尾張国 大野城跡

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大野城は、1350年頃、三河国守護の一色範氏が知多半島に勢力をのばし
その子範光が伊勢湾を見下ろすこの地に、城を築いたのが始まりといわれます。
一色氏は将軍足利義政と対立した為、三河守護職を失い、勢力を衰退させて
大野城は尾張の守護土岐氏に奪われ、近江出身の家臣佐治宗貞が大野城主となり
以後135年間、佐治宗貞、為貞、信方、信吉、一成5代にわたって居城する。
1574年長島一向一揆で信吉が戦死、幼くして一成が家督を相続。
後に浅井三姉妹、江姫と結婚する。
小牧長久手の戦い後、豊臣秀吉より離縁させられ、大野城も剥奪される。
佐治氏改易後、織田長益が城主となりましたが
大草城を築城して移った為廃城となりました。
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現在主郭部には、天守風展望台と模擬城門があり、城跡風景を演出していました。
城の規模は大きく佐治水軍の拠点に相応しい城跡でした。
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尾張国 大草城跡

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模擬櫓             

1584年小牧長久手の合戦後、知多の領主佐治氏が没落し
織田信長の弟織田長益(有楽斎)が知多郡を与えられ
知多大野城に入りました。
しかし水利が悪い為、水利のよい大草に新たに築城を開始しました。
1590年豊臣秀吉の御伽衆として、摂津国に2000石を領して転封となった為
完成を待たずに廃城となりました。

本丸・二の丸は堀で囲われ、土塁も良好な状態で残されています。
居城されなかったのは残念だが、堅固な城を造ろうとした、つめ跡を見る事ができます。

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鏡島城跡 美濃国

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城址碑 /  倉穂魂稲荷大明神 (このあたりが本丸とされる)        

鏡島城は16世紀初めに、石川駿河守光清が築城しました。
光清の孫、光信は織田信長に、光信の子、光政は豊臣秀吉に仕え
4代に渡り鏡島城の城主を務めました。
子孫は徳川幕府の旗本として生き抜きました。
鏡島城は関ヶ原の戦い後、廃城となりました。

現在残された城の遺構はありません。
城址碑は驚くことに民家の庭先にあります。
見学する時は迷惑をかけないよう、配慮が必要です。
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鏡島の弘法さま(乙津寺)
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石川家五輪塔が乙津寺にあります。

小さい頃、弘法さまの縁日には
親に連れられて参拝したことを思い出しました。
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平成30年 元旦



  新春のお喜びを申しあげます
      本年も宜しくお願いいたします

               権 中納言

播磨国 三木城跡

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本丸跡
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三木城は1492年ころに東播磨の守護代、別所則治が
美嚢川南岸台地上に築城しました。
別所氏歴代が居城しました。

三木城の戦い
別所長治ははじめ、羽柴秀吉の説得により織田陣営に属しましたが
1578年突如反旗を翻し、毛利方つきます。
東播磨の国人衆も、別所氏に同調して毛利方についた為
秀吉は国人衆の城を先に落とし、別所氏の三木城を孤立させます。
その時、摂津国有岡城主荒木村重が、突如信長を裏切り籠城した為
挟まれた秀吉も、有岡城攻めに兵力を割きます。
1579年10月有岡城落城する。
三木城の戦いは、1年10ヶ月と長期化したものの
1580年1月兵糧攻めが功を制し、別所一族の自刃により幕を閉じました。

1615年一国一城令により廃城となりました。
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竹中半兵衛公のお墓
秀吉軍本陣平井山の麓にありました。
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本丸跡二の丸跡では
ボランティアガイドの熱心な声が響きわたっていました。
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