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近江国 三雲城跡

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三雲城は観音寺城主佐々木六角高頼の命により
1488年三雲典膳が築きました。
観音寺城は守護の政庁としては大城郭でしたが防備が弱く
六角氏は観音寺城が攻め込まれると、度々この城に逃げ込んでいました。

三雲城は織田信長の近江平定戦で、信長家臣佐久間信盛の攻撃を受け
1570年山裾にある三雲家敷と共に落城しました。

城跡には曲輪・土塁・堀切・石垣・古井戸などが残されています。
なかでも桝形虎口は、近世城郭で見る立派な巨石石垣に囲まれていて
大変驚かされました。
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八丈岩の背後の岩には六角氏の家紋「四ツ目結」が刻まれています。
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近江国 宇佐山城跡


宇佐山城は1570年織田信長の命により、森可成によって築城されました。
城は、比叡山の山塊に属する宇佐山に石垣を用いた本格的な山城で
琵琶湖の西に位置し、京への入口を抑えていました。

朝倉義景・浅井長政連合軍3万の兵が、坂本口に進軍してくると
森可成は1千の兵を率いて奮闘するも、さらに延暦寺の僧兵が連合軍に加わり
劣勢となり討ち死にしました。
勢いに乗って連合軍は宇佐山城を攻撃するも
家老各務元正らの頑強な応戦で落城は免れました。
織田軍主力が摂津より援軍に駆け付けると、連合軍は比叡山に退却し
その後和議となりました。

信長は明智光秀を宇佐山城主にし、近隣の土豪を調略する役目を負わせました。
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城跡は観光地化されてなく、築城時の石垣が一部そのまま残り感激です。
一つだけNHKの施設が本丸曲輪を占領しているのが、残念なところです。
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明智光秀③

1556年長良川の戦いで斎藤義龍が父道三を討ち果たす。
明智家は道三に味方した為、総攻撃を受け明智城は落城するも
光秀は山岸光連によってかくまわれます。

その後京の足利義輝の奉公衆である進士春舎のもとへ行き
仕官先の伝手などを得ました。
その折、細川藤孝とも出会ったかと思われます。
将軍義輝は1565年三好三人衆によって殺害されました。
syunenzi2.jpg syunenzi1.jpg 称念寺
1562年朝倉氏家臣黒坂備中守を頼りに、妻や従属するものを連れて
越前国称念寺の前で医者として住みつくことができ、後に朝倉家に外客として仕官が叶い
一乗谷城下の外、東大味に居を移しました。
1566年足利義昭が朝倉義景の一乗谷にくると、光秀は義昭の家臣(足軽衆)となりました。

光秀の生い立ちは不明な部分が多いです。

【NHKの歴史秘話ヒストリアで光秀は医者として多くの人々を助けた事
 1566年近江国田中城にて兵士の傷の手当をしたことが放映されていました。】

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参考
喜多村系図「明智家譜並びに明智図」
宮城系図「明智一族宮城家相伝系図書」
山岸系図」「明智氏血脈山岸家相伝系図書」
明智軍記物語
戦国武将録

麒麟がくる

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大河ドラマ麒麟がくるでは、斎藤道三役の本木雅弘さんの
力強い演技が際立っています。
岐阜金華山ロープウェイ乗場で、記念撮影ができます。
本人そっくりです。
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美濃国 遠藤1千石旗本陣屋跡

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乙原陣屋跡
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下洞陣屋跡(遺構が残されています)

1646年郡上藩主2代目遠藤慶利の遺言により
領地2万7千石の内、長子常友(3代目藩主)が2万4千石を継ぎ
次男常昭に2千石、3男常紀に1千石が分地されました。

1千石を分地された初代旗本和良遠藤常紀は、和良(郡上市)の宮代村・下沢村・下洞村と
金山町(下呂市)の乙原村・祖師野村・戸川村の6ヶ村を領地とし陣屋を
乙原村に置きました。
その後下洞村にも置きました。

郡上藩主は井上家5万石・金森家3万8千石・青山家4万8千石と移り変わり
ましたが、旗本1千石遠藤家は220年間変わる事なくこの地を治め明治を迎えました。

ここ乙原村は、私の生まれたところです。
子供ころは、昔ながらの石畳の道が縦横に走っていましたが
ダムができ、高速道専用インターができて、村も変わりました。
昔の風景が懐かしいです。

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