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信濃国 高遠城跡

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高遠城は南北朝の頃より諏訪氏の支族である高遠氏が居城していましたが
戦国時代になると甲斐の武田信玄が支配するようになった。
1547年信濃統一をめざす信玄は山本勘介に命じ、伊奈谷侵攻の拠点として
高遠城を拡張させた。
城は三峰川と藤沢川に挟まれた丘陵上の端に
本丸・二の丸・南曲輪などの曲輪を、深い空堀と土塁で囲んだ堅固な城でした。

1582年高遠城の戦
織田軍は5万の軍勢で高遠城に攻め入った。
高遠城は3千人の兵力で城に籠って防戦するも
圧倒的な織田信忠の大軍のまえに落城した。
城主仁科盛信(信玄の五男)は壮絶な戦いの末討ち死にとなった。

高遠の戦いは兵力の差には勝てなかったが
織田方に寝返る武将が相次いでいる中
仁科盛信は最後まで徹底抗戦を貫いた勇ましい武将であった。

高遠城の深い空堀には、戦いの為の城作りがなされていたと感嘆しました。

江戸時代の高遠城は高遠藩の政庁として使われ
保科氏、鳥居氏、内藤氏が入城しました。
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江戸時代中期、大奥御年寄絵島が絵島生島事件で高遠藩へ流され
絵島が幽閉された建物が復元され絵島囲み屋敷として公開されています。
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信濃国 殿島城跡

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殿島城は、1532年伊奈春日城主、春日重親の弟重国が
元々の殿島氏居城跡に、名跡を継承して築城したとされます。

武田信玄の伊奈侵攻により、仕方なく武田方に服属されます。
1556年殿島重国を含む伊奈衆は、信玄に反旗を翻えし
抵抗しますが、鎮圧され処刑されました。

城は方形の二つの曲輪を二重堀でそれぞれ区画し
さらに外堀を配置する平山城でした。

小さな城跡と思って登城しましたら
広い本曲輪と高い土塁に迎えられ
大変驚かされました。
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伊勢国 北畠氏館跡庭園

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本庭園は、北畠神社神苑の一部となっており
往昔の国司居館の庭園遺跡です。

作庭者は幕府管領 細川高国と伝えられています。
高国の娘は、伊勢の国司 七代北畠晴具夫人になっていて
室町末期、将軍家の世継ぎ争いで
援軍を頼む為に、婿である晴具の館を訪ねた折
作った庭園といわれています。

総面積850坪の武家書院庭園で、池泉鑑賞様式となっています。
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伊勢神宮からナビの示す通りに車を走らせましたが
対向車とすれちがうのに、危険を伴う道幅の狭い山道でした。

国司の館跡は、険し過ぎる山中にありました。
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志摩国 鳥羽城跡

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鳥羽城は九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆が築城しました。

九鬼氏は元々志摩の国人領主であったが
対立する他の領主に攻められ、城を捨て逃れました。
九鬼嘉隆は滝川一益を介して、織田信長に仕えるようになり
水軍を率いて数々の戦功を挙げ、信長の助力を得て志摩を平定
信長より伊勢・志摩国に3万5000石を与えられました。
本能寺の変の後、豊臣秀吉に仕え、1594年橘氏の居館跡に鳥羽城を築城しました。

標高40mの小山を中心に築いた鳥羽城は
周囲を海に囲まれ、陸地側には堀を巡らした為
島のような海城でした。
本丸には三重天守が建てられ
大手門は海側あり、水門となっていました。

関ヶ原の戦いでは親子が東西に分かれて戦い、敗北となった
西軍に属した九鬼嘉隆は、城主守隆(嘉隆の子)による父助命嘆願が叶うも
情報遅きにて切腹しました。
東軍に属した守隆は、鳥羽藩初代藩主となりました。
その後、内藤氏3代、土井氏、松平氏(大給)、板倉氏、松平氏(戸田)とめまぐるしく
城主が変わり、1725年稲垣氏が入り、その後8代続き明治を迎えました。
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石垣の一部は当時のまま、変わらずに残っています。
本丸からの眺めは最高です。
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越後国 春日山城跡

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南北朝時代越後守護上杉氏が、越後府中館の詰城として春日山城を築城する。
1513年越後守護代長尾為景が、城を大改修し移り住みます。
1536年為景が隠居し、嫡男春景に家督を譲るも実権は握り続けました。
1545年家臣で黒滝城主黒田秀忠が謀反を起し春日山城に攻め込み、
 次男景康三男景房を殺した。
 のちに城主春景にかわり末弟の景虎が黒滝城を攻め落とし、黒田秀忠は降伏した。
1548年春景は末弟景虎(のちの謙信)に家督譲る。
1561年関東管領上杉家の名跡を継承し、長尾景虎は上杉謙信となる。
1578年謙信死後、跡継ぎをめぐって2人の養子が1年にわたって争い(御館の乱)
 1579年景勝が乱を制し春日山城主となる。
1598年豊臣政権下で景勝が会津へ国替えとなり、堀秀治が城主となる。
1607福島城築城に伴い、春日山城は廃城となりました。
春日山城
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上杉謙信の本拠地春日山城は
鉢ヶ峰山頂の本丸から山裾まで曲輪が連続しています。
曲輪に石垣はありませんが、戦国時代最大規模の山城でした。
大河ドラマ天地人にあった謙信死後の
本丸を押さえた景勝と、景虎の屋敷の位置関係など
城全体を確認でき、大満足でした。
御館
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